※あまりに古い話なので、過去の日記で記憶違いがあったことに気が付きました。本稿やほかの日記にもあるかと思いますが、間違いに気付き次第、修正いたします。何卒ご容赦ください。
※この日記とリンクさせていたSpotifyがすべて表示されなくなっているようです。本稿につきましては、YouTubeで代用しました。現在、原因を調査中です。過去の日記につきましては、そのままにしてあり、しばらく様子をみたいと思います。ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。
- オジーの訃報は真夜中に座りしょんべんしていて知りました……
- 音楽はもちろん、人となりまで愛します!私が初めて好きになったヘヴィメタルのアーティストこそオジー・オズボーンなのです!
- 私はジェイクもザックも大好き。でも、メタルを聴き始めた時、オジーの横には誰もいなかったのです……
- 最初の出会いがいきなりサヨナラ…でも、素晴らしい思い出がいっぱい。大学に入って初めてオジーに会いに行くことができました!
- 社会人になってロックと離れることで、徐々にオジーとも距離ができてしまいましたが、好きな曲だけはずっと聴き続けていました。根っこだけは変わらずということです
- 2019年のDownload Japanには用事があって行きましたが、オジーに会えなかったことは本当に残念です……
- 今こそ日本を助けてほしいんだけど、もうオジーがいないと思うと、どことなく不安です。愛を込めて言わせていただきます。この前まで歌ってたじゃん。大バカ野郎……
オジーの訃報は真夜中に座りしょんべんしていて知りました……
みなさん、こんばんは。これまで生きてきて、最悪の選挙結果に気が滅入っていたら、今度はあまりに悲しいお知らせが止まりません。なんと、故アントニオ猪木氏の後を追うように、あのハルク・ホーガンまで亡くなってしまいました。まだ72歳ですか……幾多の名勝負を見せてもらった昭和世代は「超人」の訃報にグサリときました。一時代の終焉、遠ざかる昭和をいっそう痛感せざるを得ません。心よりお悔やみ申し上げます。
さて、オジー・オズボーンについての気持ちは一度書いてすべて消しました。本稿は最初から書き直したものになります。当たり前ですが、いちファンは実際に話したこともなければ、裏話どころか遠い昔の出来事も知らないため、ごくごく私的な気持ちしか書けないからです。まして、どんなに好きでも、はるか彼方にいる世界の大スターが亡くなった話です。私はロックと距離があった時代も長かったですし、もっと深い悲しみに包まれているご家族や近しいミュージシャン、さらには、人生を捧げるほど応援してきたファンがたくさんいる事実に気が付き、意外なほど冷静になれたというのもあります。だから、サラッと。これは熱狂的な諸先輩方より、だいぶ年下の退屈なおっさんの思い出話であることをご了承ください。
私が「オジー逝く」の知らせを知ったのは、7月23日の夜中の3時半過ぎのことでした。いつも通りトイレに起きて、習慣のように便座に座って、スマホのtwitterのニュースに軽く目を通していましたら、BBCの速報記事が真っ先に目に飛び込んできました。
Black Sabbath's Ozzy Osbourne dies aged 76, his family announces https://t.co/GnBK3JutAg
— BBC News (UK) (@BBCNews) July 22, 2025
すぐフェイクニュースであることを疑いました。一般のファンが撮影したYouTubeの動画とはいえ、つい先日、Black Sabbathの最後の晩餐「Back To The Beginning」で歌っているオジーの姿を観たばかりだったからです。しかし、公式アカウントのツイートがほんの少し遅れて流れてきて、わずかな望みは打ち砕かれました。座りしょんべんでガッカリ、オジーのファンらしいといえば、そうですが、オジー、真夜中に冗談がきつすぎます。
It is with more sadness than mere words can convey that we have to report that our beloved Ozzy Osbourne has passed away this morning. He was with his family and surrounded by love.
We ask everyone to respect our family privacy at this time.
Sharon, Jack, Kelly, Aimee and… pic.twitter.com/WLJhOrMsDF— Ozzy Osbourne (@OzzyOsbourne) July 22, 2025
オジーのばかばか。。。。。。。。。。
— 鳴門の虫牙 (@TAKEbbbb) July 22, 2025
音楽はもちろん、人となりまで愛します!私が初めて好きになったヘヴィメタルのアーティストこそオジー・オズボーンなのです!
私にとってオジーはヘヴィメタルそのものでしょうか。“帝王の逝去”という事実にヘヴィメタルを聴いてきたと胸を張って言える根拠が失われたような感覚さえ覚えます。音楽に詳しい高校時代の友人の勧めで、ヘヴィメタルのレコードを「ヘヴィメタルである」と意識して初めて買ったのは、Judas Priestでもなければ、Motörheadでもなく、オジーの「Blizzard Of Ozz」だったからです。レコードの購入時期は「BURRN!」を読み始めた時よりもだいぶ早く、オジーの武勇伝や逸話はその友人からすべて教えてもらいました。彼はお兄さんの影響で蘊蓄をやたらと語る、いわゆるクソ生意気なガキです。もちろん、聴く前から「ランディ・ローズという天才ギタリストはもうこの世にいない」ということは教えてもらっていました。
「コウモリの首を食いちぎり、狂犬病感染を疑われて病院送りになった」
「スターのくせにソニーのお偉いさんの前で見せようとした手品が上手くいかず、泡食ってしまい、ポケットにしのばせていた生きた鳩の首を食いちぎってしまった」
「鳩を殺っちまったせいで、動物愛護団体がライブ会場に殺到して修羅場と化した」
「神聖なるアラモの砦に小便を引っかけて、出入禁止になった」
We at the Alamo are saddened to hear of the passing of legendary musician Ozzy Osbourne. His relationship with the Alamo was marked initially by a deeply disrespectful incident in 1982. This act profoundly and rightfully upset many who hold this site sacred. pic.twitter.com/BueF288JRF
— The Alamo (@OfficialAlamo) July 22, 2025
「酔っぱらって散髪屋に入り『カッコ良くしてくれ』と言ったら、七・三分けにカットされてしまった」……etc…
七三分けになったばかりの写真はOZZYのtwitterにあったはずです
その友人から聞いた話をいくつか挙げてみました。みなさんご存知の有名なエピソードばかりです。すべてがロックンロール、しかし、まったくカッコ良くなく、道化師のようにわざとらしく振る舞うナイーブな内面を感じさせます。また、オジーは心の弱さを決して隠しませんでした。ドラッグや酒に溺れていながら「ドラッグや酒には気を付けろ(Suicide Solution)」と歌ったように、飾らない自分をそのまま、悩みを抱えた若者に寄り添うような姿が逆説的にカッコよかったりした訳です。
本音でしか生きられず、本当に優しい気持ちの持ち主だったことは、ランディが飛行機事故で亡くなった後、丸坊主にしてしまい、インタビューでもずっと泣いていたといったエピソードなどが物語っているのではないでしょうか。これは音楽からも伝わってきます。繊細すぎる心は「Goodby To Romance」あたりを聴けば一発で理解できるはずです。
また、感受性や感情の起伏は年齢とともに鈍化するといわれますが、この点は最期まで変わらなった。Beatlesを愛した優しい感性は2020年のコロナ禍にリリースされた「Ordinary Man」や、最後のステージで披露された名曲「Mama, I’m Coming Home」の歌唱などにも表れているように感じられます。
なお、古い音楽雑誌や関連書籍、国内盤のアナログレコードまで、すべて処分してしまったので、このブログに引用できる資料は手元にありません。しかし、このような話がたくさん収録された書籍は、近い将来、シンコーミュージックから販売されるはずです。といいますのも、私が友人から聞いた話のほとんどは「BURRN!」などの記事に基づいているからです。もう私に紙の思い出は必要ありませんが、高校時代、音楽雑誌を買うようになったきっかけは、ほかならぬオジーだったりもします。ですから、新しく編集された書籍は若い方が「オジーがいかにすごい人物であるか」を知るには、最適な一冊になるのではないでしょうか。そして、暗く、先行きが見えない時世だからこそ、聴いておきたい。そんな音楽がオジーなのだと理解してもらえると想像します。
私はジェイクもザックも大好き。でも、メタルを聴き始めた時、オジーの横には誰もいなかったのです……
ちなみに、私がヘヴィメタルを聴き始めた頃のオジーは実に微妙な時期でした。というのも、ランディの後任として相棒となったジェイク・E・リーも「The Ulitmate Sin」のツアーで来日してから、楽曲のクレジットの問題やら「泥酔して家に押しかけられ、朝まで作曲を強要される(?)」など、オジーのアルコールとドラッグの問題やらで脱退してしまった直後。面白オジサンは身体に入れられるものは全部入れているようなバカっぷりで、件の友人からはこんなエピソードばかり聞かされており、活動らしい活動はしていなかったのです。
オジー・オズボーンはかつてLSD(幻覚剤)を大量に摂取し、馬と1時間おしゃべりをしたことがあるという。そして、馬が自分に向かって「失せろ」と言ったと思ったオジーは、LSDをやめる時が来たと悟ったと語っています https://t.co/Y4ilAv1Yov
— amass (@amass_jp) August 25, 2022
私は母親が日本人のジェイクのことが大好きです。「BURRN!」のバックナンバーを読んでいて抱いた印象は、アンケートで照れ隠しの下ネタを連発するシャイな面がある一方、かなり勝ち気な性格。60年代どころか、50年代の音楽に詳しい博識な部分もあって、知れば知るほどいい奴に思えてきます。しかし、やたらとランディと比較されていたので、ぶつかって当たり前だったのかなあなどと思ったのも事実。最期の最期に「Back To The Beginning」に参加して、オジーに会ってくれて本当によかった。ちなみに、ジェイクはオジーのもとを離れたすぐ後、Black Sabathでも歌っていたレイ・ギランを擁する「Badlands」というバンドを結成します。当時、これには因縁めいたものを感じました。
そして、間もなくして「BURRN!」だったか、あの音楽評論家氏のラジオ番組だったか、記憶があやふやですが、「オジーが新しいギタリストのオーディションをやっている」ことを知ります。それがこの20歳の貴公子です。ザック・ワイルドの登場はとにかく華麗で鮮烈でした。そして、私にとって若き火の玉を擁する「No Rest For The Wicked」がリアルタイムでのオジー・オズボーンの最初のアルバムになります。
大好きなミュージシャンのニューアルバムを発売日に買う喜びたるや。1曲挙げるとすれば、もちろん「テレビ伝道師ジミー・スワガートを強烈に皮肉った」ことで有名な「Miracle Man」。標的になったこの人物は「Suicide Solution」と自ら命を絶ってしまった少年を結び付け、オジーを糾弾し続けた人物です。なお、広く知られた話ですが、先述した通り「Suicide Solution」には、AC/DCのボン・スコットの死を惜しみ「飲み過ぎるなよ。自殺するようなものだからな」というメッセージが込められています。
さて「Miracle Man」の歌詞内容はさておき、前評判だと、このアルバムは前作の「The Ultimate Sin」がMTV時代らしく聴きやすい曲が多かったせいか、サバス色が強いヘヴィリフの楽曲が増えるなどと囁かれていました。しかし、いざ聴いてみると、ザックのギターリフは真逆ともいえる鋭さ。個人的には、日本刀のような斬れ味と重厚感を兼ね備えたレスポールの使い手という印象を持ちました。何より強烈だったのは、髪を“横”に振り乱しながら渦巻きレスポールを弾くこのスタイルでしょう。誰も彼もがヘドバンだった時代。あまりに眩し過ぎました。そして、我々はオジーの“人材を見つけ出す”嗅覚に恐れおののいた訳です。
「この子はランディ・ローズが大好きに違いない”と言っていたらしい。俺はオジーに会いに行った。するとオジーは『前に会ったことがあるかな?』と言っていた。そのあと、思い返して『いや、それはキッチンテーブルに置いてあった、あの(ザックの)写真だったな』と言っていた」
オーディション当時のことをザックはこう回想しています。ランディやジェイクとは違って、ザックとのエピソードはネットにたくさん落ちているようですよ。ぜひ探してみてください。オジーがどれほど惚れ抜いたか、そして、ザックにランディの幻影を見ていた事実が伝わってくると思います。
今でこそプロレスラーのような風貌になってしまい、すっかりサザンロックが大好きな山男のようなイメージになってしまいましたが、これはこれでランディがクラシックを愛していたのと同じ。年齢とともにルーツが地金として表れたということなのでしょう。
ちなみに、私は「No Rest For The Wicked」をリリース後の日本武道館は大学に全部落ちてしまい、浪人が決定したため、予定に入れておきながら、残念ながら行くことができませんでした。時効だから言えますが、進路がなくなってしまい、慣れない酒をかなり飲んで、滝のように吐いた上、大も小も豪快に漏らしてしまったことを覚えています。昔から私はこんなカミングアウトをやたらとします。これは今も昔もずっとオジーのことが大好きで、その影響だと勝手に思っています。
最初の出会いがいきなりサヨナラ…でも、素晴らしい思い出がいっぱい。大学に入って初めてオジーに会いに行くことができました!
それから大学生になって、関西で一人暮らしを始めると「No More Tears」がリリースされました。この時は行きつけのレコード屋を失ったため、珍しく国内盤のCDを買っていたようです。ライナーノーツを読み返しましたら「これがラストアルバムである」と、リリース前からオジーは引退表明をしていた旨が記されていました。その理由については、twitterに搭載されているAIあたりに「1989年から1990年代中期に起こったオジー・オズボーンの悲劇」とでも問いかけてみてください。「アルコールと薬物依存の継続」「妻シャロン・オズボーン〇害未遂事件」など、ショッキングな内容が返ってくるはずです。でも、シャロンも許してくれたことだし、活動そのものを辞めることはないのに…と思ったことを覚えています。
ただ、当時、オジーだけでなく、ほかのミュージシャンも「若々しいパフォーマンスができなくなるかもしれない」という理由で四十代での引退をほのめかすケースがいくつかあったと記憶しています。これは今では考えられないほど、ドラッグが普通だった影響でしょう。具体的な薬物の種類や得られる精神的な効果が、雑誌には当たり前のように記されていました。日本人はシ〇ナーを吸っていたことをまったく隠さないユルーイ時代です。個人的にはいつ会えなくなるかわからないミュージシャンが増えるだろうと考えており、ライブはこまめに観ておいたほうがいいかもしれないなどと思っていました。
オジーのラストコンサートに話を戻しますと、日本武道館と大阪城ホールの2回も行っていたようです。日本武道館は座席がいまひとつだったせいか、30年以上も経ったのに大阪城ホールの素晴らしさばかりが印象に残っています。とにかく、感動という言葉がふさわしい一日でした。あと、いかにもセンスがないデートですが、長らくお付き合いした女性と観に行き、帰りの大阪城公園でたくさんのカップルのひと組として、空いていたベンチで乳繰り合いました。実にオジーのライブ帰りにふさわしい思い出です。
そして、これは作為でもなんでもありません。本稿のためにチケットの写真でも撮り直そうかと思って、CDケースの裏面に挟んであったものを取り出してみたところ、ちょっと粋なプレゼントを見付けてしまいました。
本当に今日の今日、気付いたよ。大学の4年間と2年ちょっとだろ、ということは、もう30年も前のことになるのか。元気にしてるかい? なんか、すべて上手く行かず、何もしてあげられなくてごめんな……などと、当時のオジーがシャロンへ謝っているようなことを思ってしまいました。以上です笑
社会人になってロックと離れることで、徐々にオジーとも距離ができてしまいましたが、好きな曲だけはずっと聴き続けていました。根っこだけは変わらずということです
オジーの現役復帰は意外と早かったことはよく覚えています。1991年の「ラストコンサート」が大学1年、復帰作の「Ozzmosis」が4年後の1995年10月とありました。卒業間際まで就職先が決まらず、何とか潜り込んだ会社での忙しさに四苦八苦していた頃でした。あらためて聴いてみると「Perry Mason」を筆頭に佳曲が揃っていますし、まったく夢中になれなかったのが不思議でなりません。少しかったるいミドルテンポの楽曲が多かったからかなあ。外部のソングライターの起用がやたらと目立ち、なんと、あのスティーブ・ヴァイの書いた曲☟まで入っています。
あと、ザックがレコーディング直後に脱退してしまったことを思い出しました。Guns N’ Rosesから誘われたんでしたっけ? でも、それは後から知ったことですし、直接的にはあまり関係ないか。すべては聴き手である私の気持ちの余裕のなさですね。作品は悪くない。でも、印象にも残っていない。「生活が一変すると耳にこういうことが起こる」と思わせてもらったアルバムが「Ozzmosis」です。
いま思えば、メタルという音楽はただ流しておいて聴くには、ヘヴィでシリアス過ぎるのかもしれません。私はザックの後に加入した、ランディ・ローズの教え子というジョー・ホームズを伴っての来日公演をひとつも観ていません。といいますか、社会人になってから、ライブやフェスに行った回数は数えるほど。学生時代、あれほど仕事には縛られないと決めていながら、結局、重心はそっちだった訳です。我ながら昭和の日本人らしいなあと思ったりします。
ところで、よく個人のブログやYouTubeなどで「オジーの好きな曲 ベスト10」という企画を目にします。この手のもので年齢がバレるといわれますが、私もたまに世代のギャップを感じる時があります。仮に、私が「好きな曲ベスト30」を選ぶとしても、ギリギリ「Ozzmosis」まで。2000年以降の「Down to Earth」「Black Rain」「Scream」の3枚はかなり苦手です。といいますか、ほとんど聴いていないに等しい。やはりベストとなりますと、ランディ・ローズ時代の「Blizzard Of Ozz」「Diary of a Madman」、そして、ジェイク・E・リー時代の「Bark At The Moon」でしょうか。ザックには申し訳ないですが「No Rest For The Wicked」「No More Tears」はその次の評価となります。あまり評判の良くないジェイクの「The Ultimate Sin」は佳曲揃いの傑作だと思いますよ。
こんな私の「好きな曲 ベスト10」は上から順に以下のような感じになります。少し変わった趣味かもしれません。「I Don’t Know」も「Over The Mountain」も漏れてしまいました。でも、こういうのがオジーのファンなのだと思います。なお、気まぐれでいつも順位は変わり、このランキングは本稿時の気分です。よろしかったらどうぞ。
まあ、色々書いてきましたが、でも、ジェイクとザック、わりい。結局、こういうことなんだと思います。
2019年のDownload Japanには用事があって行きましたが、オジーに会えなかったことは本当に残念です……
さて、2000年を過ぎた頃でしょうか。私はロックというか音楽をあまり聴かなくなりました。特に理由はありません。おっさんになって、海外旅行にはまったり、読みたい本がたくさんできたり、要するに趣味の幅が広がって、小遣いと時間の余裕がなくなっただけです。ちょっとだけ付け加えさせてもらえるなら、グランジ・オルタナブームにげんなりしていたところに、デジタルなサウンドがメタルの世界を侵食してきたのも大きかったのかもしれません。こんな思いから、わざわざ「BURRN!」を定期購読することもなくなり、一部のアーティストがいれば十分だと思うようになりました。当時、買ってまで聴いていた数少ないアーティストには、もちろん、オジーも含まれます。ただ、Judas Priestに対する感情と少し似てますかね。新譜を買ってみて「少しは1980年代を思い出してよ…」と熱心になれなかったことを認めます。
ただ、ひょんなきっかけから、2017年にメタルシーンへの興味を取り戻すようになって、気が向くとライブにも足を運ぶようになります。動機は…まあ、この日記を読んでくださっている方のほとんどがリピーターなので、ご察しの通りです。
LOVEBITESといいますか、厳密に言いますと、Asami先生ですね。LOVEBITESのアルバムを聴き込み、先生をライブで初めて観た時、色々なことを思いましたが、シンプルに言うなら、何十年ぶりに気持ちを根こそぎ持っていかれました。抜群に上手いことはもちろん、キャラクターの輪郭がくっきりしている。もう少し言いますと、シアトリカルな純白のドレスをまとっているからには、もっと演じていたほうがいいのに「素顔」が明け透けなまでに見えてしまっているところがザ・ヒューマン。要するにオジーに相通じる部分を感じた訳です。
「わてくしはあんなに動きが鈍くないし、ああいう面白い歌い方も、振る舞いもしたことがない」と本気で怒られそうですが、初めてステージを観た時、連想したのは、Judas Priestのロブ・ハルフォードでもなければ、 Motörheadのレミー・キルミスターでも、水色の雨のハイトーンの八神純子でもなく……
やっぱ、ヒューマンなオジーでした笑
これは後付けになりますが、Eternal PhenomenonTourに行かれた方は「The Unbroken」を鮮明に覚えているはずです。大ウエーブを巻き起こしたあのパフォーマンスは、西城秀樹さん的であると同時に「No More Tears」あたりでオジーが魅せる立ち居振る舞いをちょっと想起させます。あとは多くを雄弁に語る眼ですね。しかも、客の顔をしっかり見ていて、スマイル一発で心を鷲づかみしてしまう。実際、日本のメタル史において、これほどカリスマ性があって「陽のイメージを抱けるヴォーカリストがいたか?」と問われれば、私はほかに知りません。あくまで存在感や印象の話ですが、実際、先生はオジーのように舞台がでかければでかいほど映えます。少なからず当たっていると思うのですがどうでしょう笑



さて「Download Japan 2019」の話をちょっとだけしますと「Download UK 2019」での共演もありましたし、HalestormのステージにAsami先生が立つ予感はしていたので、すぐチケットを取りました。ただ、それより前に、実はヘッドライナーが発表された時から、こっそりオジーには会いに行くつもりでいたのです。これはロックに戻ってきて、再び熱心に音楽聴くようになっていたせいか、Asami先生が偶然くれたチャンスのように思えたからです。あと、何となく、もう会える機会がなくなるかもしれないという予感もありました。
その後のことはご存知の通りです。調べ直しますと「自宅で転倒し脊椎を損傷」の後に「肺炎での入院」とありました。結局、出演キャンセルが発表され、そのままコロナ禍に入ってしまい、嫌な予感は思い切り的中してしまいました。
確か、パーキンソン病を発表したのは2023年でしたっけ? しかし、コロナ禍に「Ordinary Man」と「Patient Number 9」という素晴らしいアルバムを2枚も届けてくれました。上から目線で言わせてもらうと、オジー、こういうことなんですよ。確かに新しさはどこにもないし、若い頃に比べたら、落ち着き過ぎかもしれない。それでも「これをどうして、2000年代、2010年代にやってくれなかったの?」という気持ちのほうが圧倒的に上回ります。そうすれば、私はもっと早くロックに戻ってきて「Ozzfest Japan」に行く気になったかもしれないのに……オジーと私の巡り合わせは、こうやってとことん悪いのなのかもしれません。
結局、会いに行けたのは、こうして数えてみると大学時代のたった2回だけですか。でも、高校時代から自分の中ではとてつもなく存在感が大きい。大学を落ちた直後の「No Rest For The Wicked」のツアーだけは、気持ちをリセットして行っておけばよかったかなあ。今となってはこれだけが心残りです。
今こそ日本を助けてほしいんだけど、もうオジーがいないと思うと、どことなく不安です。愛を込めて言わせていただきます。この前まで歌ってたじゃん。大バカ野郎……
以上、私のオジーへの気持ちをあっさり書くと、だいたいこんなところでしょうか。オジーがいなければ、いまヘヴィメタルを聴いていることはありませんし、レコード屋を巡るという楽しい経験も、ライブに行くこともなかったはずです。何より、当たり前のことですが、五十に手が届きそうな年になって、LOVEBITESという夢中になれる存在と巡り会うこともなかった訳です。
私はロックがすべてという人生できた訳ではありませんが、今まで自分が立ってきた足場を失ったような感覚がして、訃報を知ってからまだフワフワしています。これは2025年という不穏な年のせいですね。とにかく、政治から経済、自然、天候、芸能に至るまで、ろくでもないことが続きます。オジー、日本は本当にたいへんな時期にあるのですよ。助けてください。こういう時代にどれだけ権力を持った奴に対しても、トランプだろうが、カルト宗教の親玉だろうが、中指を立てて「フ〇✖ク・オフ」と言ってくれる頼もしい親分がいなくなってしまったことが物凄く不安なのかもしれません。
月並みながら、オジー、これまで色々とありがとうございました。新宿で海賊盤をいっぱい買ったこととか、大学時代の部屋に飾ってあった「Diary Of A Madman」のレコードを彼女が見て驚いてしまい、せっかくの雰囲気を台無しにされたとか、数え切れないほど思い出があります。また、機会がありましたら、歌詞のことやBlack Sabathのことなども、何か書かせてください。最後は「Mr. Crowley」と悩みましたが、こちらを選ばせてもらいました。こんなに悲しい気持ちになったのはいつ以来でしょうか。安らかに……心より愛を込めて、オジーの大バカ野郎……本当にばいちゃだね……



As a tribute to Ozzy Osbourne, the band of the Coldstream guards performed "Paranoid" at changing of the guard today.pic.twitter.com/UbTsCa4lDA
— Rock and Roll Garage (@rocknrollgarag1) July 31, 2025
Ozzy Osbourne's hearse drives through Birmingham as musicians play Iron Man
pic.twitter.com/tc9pDEx94s— 🎸 Rock History 🎸 (@historyrock_) July 30, 2025
Ozzy's hearse drives through the streets of Birmingham ❤️ pic.twitter.com/IiGRwHZFLh
— 🎸 Rock History 🎸 (@historyrock_) July 30, 2025
Ozzy Forever! pic.twitter.com/4Vx2bR7bRW
— BlackSabbath (@BlackSabbath) July 31, 2025
Ozzy Forever! pic.twitter.com/pWRX4tU8Ji
— Ozzy Osbourne (@OzzyOsbourne) July 31, 2025
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